ユニクロは間接的に私の人生に大きな影響を及ぼしたという話とユニクロ誕生前後の柳井氏が山口県宇部市の書店で手にした本の話。
地方のロードサイド店だったユニクロ
時は遡ること1993年。私の住んでいた広島の片田舎にも、ユニクロの店舗があった。まだフリースの大ヒットを記録する前のユニクロで、現在とは違い、ロゴが人間の形をしたものだった頃だ。このとき初めてユニクロの店舗を訪れて、服を買ってもらったのを覚えている。
調べたところ、ファーストリテイリングは、広島証券取引所に上場するのが1994年で、このあたりから新聞の折込チラシやテレビのCMでユニクロを頻繁に見るようになった。当時は、とにかく価格が安い印象で、品質はイマイチという評価だったと思う。
私の生まれ育た地域は、江戸末期からの産業であった備後絣(びんごがすり)という織物の産地だった関係で、アパレル産業が盛んで、特に藍染の技術が江戸時代からあった関係で、藍色に染色するジーンズや作業服の会社が多数存在していた。
このころ(1990年代中盤)は、ユニクロが中国地方で急激に店舗を伸ばしていたころで、全国区の企業ではなかったと思う。このブレイク前のユニクロが後々間接的に影響を及ぼすことになる。
フリースの大ヒットで全国区に
時は、また流れて1998年、ユニクロの原宿店で客がフリースを求めて殺到するということが起こる。ちなみにこの頃の売上成長は凄まじく、1999年の売上1110億円から2000年になると売上2289億円と倍増させている。このころころから、SPA方式が喧伝されはじめ、アパレル業界における超有望銘柄として、注目され、当時は色々批判もされていたが、売られている洋服の品質面も著しく向上しはじめていた。ユニクロは、当然にジーンズも作成販売しているので、私の地元の企業にも影響が出始めた。当時は、ブラッド・ピットなどをCMに起用したりして、Edwin(※2013年に事業再生ADR手続き)のジーンズなんかがよく売れていたのだが、ゲームチェンジャーとしてのユニクロが登場し、品質が向上していくなかで、顧客がユニクロに流れていき、業界の構造が一変した。
ユニクロが起こした旋風は、当然に私の生まれ育った片田舎の企業群たちにも当然に影響を及ぼし、親が役員の一人として勤める会社が事実上倒産した。まだ私は入学して1年ほどたったころの大学生だった・・・・正直いろいろあった。このことは、後々考えると、職業選択に大きな影響を及ぼすことになったと思う。
山口県宇部市の書店で柳井氏が手にした本
ユニクロが急成長し、日本中に認知されて以降、ユニクロに関する書籍を目にするようになって、いくつか読んでみたのだが、特に私が良かったと思うのが、ユニクロを解説した本や関係者が書いた本ではなく、柳井氏が参考にしたという『プロフェッショナルマネジャー』という本。元々は1985年発売で、後に2004年に再販される際に、柳井氏が序文コメントを載せている。
以下序文引用:柳井氏のコメント
山口県宇部市の書店にたった一冊置かれていた、『プロフェッショナルマネジャーわが実績の経営』(1985年11月初版発売、早川書房)を僕は手にしていた。米国のコングロマリット(多国籍企業)であるITT(インターナショナル・テレフォン・アンド・テレグラフ・カンパニー、一九七七年以後グループは解体へ)の元最高経営責任者、ハロルド・ジェニーン氏の経営回想録である。
この本が何冊売れたのかは知らないが、僕が山口県で唯一の読者だったと思っている。それほど衝撃を受けた。一読して、「僕がやってきた経営は違う」「僕の経営は甘い」「経営するとはこれだ」と思わざるをえなかった。
ジェニーン氏は、「三行の経営論」と題して、こう書く。
「本を読む時は、初めから終わりへと読む。/ビジネスの経営はそれとは逆だ。/終わりから始めて、そこへ到達するためにできる限りのことをするのだ」
ジェニーン氏は、片親の貧しい家庭に育ち、苦学して公認会計士の資格を取った。第二次世界大戦の影響で経営危機に瀕していたITTに社長兼最高経営責任者として招かれたのは、五九年のこと。・・・略・・・経営陣と組織、人材評価の見直しを断行した。そして結果を出した。四半期単位で58期連続増益を成し遂げた。14年半に渡る増益の歩みである。これは凄いことだ。彼が最高経営責任者を辞任した77年には、ITTは「フォーチュン500」の第11位にランクされ、売上高166億ドル、収益(となっているが誤訳で、利益の間違いと思われる)5億6200万ドルと、売上高、利益ともに約20倍になった。
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本書が国内で発売された時期が1985年で、ユニクロの1号店が1984年に出店、現在の原型となるロードサイド店舗は1985年に出店しており、柳井氏がユニクロを急拡大させていた時期と本書の出版時期はちょうど重なる。ユニクロの成長や当時の柳井氏が参考にしたことであろうことを想像しながら本書を読むとさらに面白い。
偶然にも、ジェニーン氏は会計士だったため、私が読んでも共感するところが多かったのかもしれない。ちなみに英語のタイトルは、「Managing」「manage:何とかなしとげる」の意で、語源は、「手綱を捌く(maneggiare)」がこの単語のコアの語源。 古期フランス語 manege(馬の手綱捌き、馬術、乗馬)から来ているようで、理路整然と精緻化して管理するというより、暴れ馬を何とか手懐けて乗りこなすイメージ。
ユニクロをという暴れ馬(急成長企業)を走らせる(経営する)ために、柳井氏が参考にした手綱捌きの術が読み取れる本だ。
参考文献: